第十夜
庄太郎が女に攫はれてから七日目の晩にふらりと帰つて来て、急に熱が出てどつと、床に就いていると云つて健さんが知らせに来た。 |
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如何な庄太郎でも、余まり呑気過ぎる。只事ぢや無からうと云つて、親類や友達が騒ぎ出して居ると、七日目の晩になつて、ふらりと帰つて来た。そこで大勢寄つてたかつて、庄さん何処へ行つていたんだいと聞くと、庄太郎は電車へ乗つて山へ行つたんだと答へた。 何でも余程長い電車に違ひない。庄太郎の云ふ所によると、電車を下りるとすぐと原へ出たさうである。非常に広い原で、何処を見廻しても青い草ばかり生えていた。女と一所に草の上を歩いて行くと、急に絶壁の天辺へ出た。其の時女が庄太郎に、此処から飛び込んで御覧なさいと云つた。底を覗いて見ると、切岸は見えるが底は見えない。庄太郎は又パナマの帽子を脱いで再三辞退した。すると女が、もし思ひ切つて飛び込まなければ、豚に舐められますが好う御座んすかと聞いた。庄太郎は豚と雲右衛門が大嫌だつた。けれども命には易へられないと思つて、矢つ張り飛び込むのを見合わせていた。所へ豚が一匹鼻を鳴らして来た。庄太郎は仕方なしに、持つて居た檳榔樹の洋杖で、豚の鼻頭を打つた。豚はぐうと云ひながら、ころりと引つ繰り返つて、絶壁の下へ落ちて行つた。庄太郎はほつと一と息接いでいると又一匹の豚が大きな鼻を庄太郎に擦り附けに来た。庄太郎は已を得ず又洋杖を振り上げた。豚はぐうと鳴いて又真逆様に穴の底へ転げ込んだ。すると又一匹あらはれた。此の時庄太郎は不図気が附いて、向ふを見ると、遥の青草原の尽きる辺から幾万匹か数へ切れぬ豚が、群をなして一直線に、此絶壁の上に立つている庄太郎を目懸けて鼻を鳴らしてくる。庄太郎は心から恐縮した。けれども仕方ないから、近寄つてくる豚の鼻頭を、一つ一つ丁寧に檳榔樹の洋杖で打つていた。不思議な事に洋杖が鼻へ触りさへすれば豚はころりと谷の底へ落ちて行く。覗いて見ると底の見えない絶壁を、逆さになつた豚が行列して落ちて行く。自分が此の位多くの豚を谷へ落としたかと思ふと、庄太郎は我ながら怖くなつた。けれども豚は続々くる。黒雲に足が生えて、青草を踏み分ける様な勢ひで無尽蔵に鼻を鳴らしてくる。 庄太郎は必死の勇を振つて、豚の鼻頭を七日六晩叩いた。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻の様に弱つて、仕舞に豚に舐められてしまつた。さうして絶壁の上へ倒れた。 健さんは、庄太郎の話を此処迄して、だから余り女を見るのは善くないよと云つた。自分も尤もだと思つた。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰ひたいと云つていた。 庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだらう。 |
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