第六夜 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行つて見ると、自分よりも先にもう大勢集まつて、しきりに下馬評をやつていた。 |
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然し運慶の方では不思議とも奇体とも頓と感じ得ない様子で一生懸命に彫ている。仰向いて此の態度を眺めて居た一人の若い男が、自分の方を振り向いて、 「流石は運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云ふ態度だ。天晴れだ」と云って誉め出した。 自分は此の言葉を面白いと思つた。それで一寸若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、 「あの鑿と槌の使ひ方を見給へ。大自在の妙境に達している」と云つた。 運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削つて、熱い木屑が槌の声に応じて飛んだと思つたら、小鼻のおつ開いた怒り鼻の側面が忽ち浮き上がつて来た。其の刀の入れ方が如何にも無遠慮であつた。さうして少しも疑念を挟んで居らん様に見えた。
「能くあゝ無造作に鑿を使つて、思ふ様な眉や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言の様に言つた。するとさつきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんぢやない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋つているのを鑿と槌の力で掘り出す迄だ。丸で土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違ふ筈はない」と云つた。 自分は此の時初めて彫刻とはそんなものかと思ひ出した。果たしてさうなら誰にでも出来る事だと思ひ出した。それで急に自分も仁王が彫つてみたくなつたから見物をやめて早速家へ帰つた。 道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、先達ての暴風で倒れた樫を、薪にする積りで、木挽きに挽かせた手頃な奴が、沢山積んであつた。 自分は一番大きいのを選んで、勢ひよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当たらなかつた。其の次のにも運悪く掘り当る事が出来なかつた。三番目のにも仁王は居なかつた。自分は積んである薪を片つ端から彫つて見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかつた。遂に明治の木には到底仁王は埋まつていないものだと悟つた。それで運慶が今日迄生きている理由も略解つた。 (*素襖(すおう)は武士の礼服のこと。この絵の衣装は間違いです。大高郁子) |
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